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注文の多い料理店(宮沢賢治)の読書感想文のサンプル

『注文の多い料理店』を読んで

この本を読んで私が感じたのは、人間のエゴについて、書かれているのだと思いました。
そのまま読むと、二人の紳士の山奥で遭遇した怖い話、です。
 ですが、私はここに書かれていることはたくさんの比喩表現が入っているのだと感じました。
 まずは登場人物である紳士二人について、これは、近代社会の人間全体のことを言っていると思います。
 きれいな格好をして、「白熊のような犬を連れて」というのは、きっと自分の力ではなく、他の物や他の動物を従えて、それを自分の力の一部と思い込んでいる人間のことだと思いました。
 そして、犬が途中で2匹とも死んでしまったことに対しても、二人は自分がいくら損したか、という会話しかしませんでした。
 私はそれがとても悲しく思ったのですが、それは、「生きるためではなく、ほかの動物を平気で殺す」ということをする人間がいるという大きな意味での「人間らしさ」を表しているのだと考えました。
 料理店についた後の、二人の会話は、何度も読み返しました。
 よく考えると、看板を見て読み取った紳士の解釈は、すべて自分にとって都合のいい解釈なのです。
 物語の結末を知ったうえで読むと、「そうか、この〝注文”というのは、すべてこの紳士を食べるためのものだったんだ」とつながるのですが、一度目に読んだ時には、紳士の解釈に特に何も思いませんでした。
そのことから考えると、私もこの紳士と同じなのかもしれない、と自分自身を見返すきっかけになりました。
 壺に入った牛乳のクリームを塗るシーンでも、まだ「貴族の偉い方と知り合えるかもしれない」と自分の得することしか考えていません。
 しかし、そのあと、

事態に気付いた二人の態度は一変しました。自分が食べられる側なんだと気づいてしまったあとの二人は、今までの態度が嘘のように震え上がり、口もきけなくなっていました。
これはきっと、「自分より強いものを目の前にすると急に弱腰になる」という現代の人間への皮肉なのかなと感じました。
 この後、死んだはずの犬が助けに来てくれたことに驚きました。
 そのあと、二人は、途中ではぐれていた山の案内の人と無事合流することができ、予定通り山鳥を買って都会の東京の町に帰っていきました。
 まるで、何事もなかったかのように、帰ってこられたのです。
 でも、恐怖のあまりに顔がくしゃくしゃになってしまったことだけは、どんなに何事もなかったかのように過ごしていても、お湯で洗っても、安心をした今でも、変わらなかったのです、という内容で話が終わりました。
このことから、私は、人間がしてきたことは、時が過ぎてそれが解決したかのように見えても、決してもとには戻らない、と言われているような気がします。
 木を切って家を作り、町を建てビルを建て、それを壊して木を植えても、それはすぐにはもとには戻りません。
 今、自然を取り戻そうという活動も多くありますが、それでも、人類の歴史で行ってきた自然破壊や、戦争で失ったものの代償はとても大きく、簡単になかったことには出来ないと思います。
 ここで、最初にも書いたとおり、人間のエゴという言葉が浮かびました。
 人間が、まるで地球の支配者であるかのように、他の動物の住みかを奪い、趣味でほかの動物の命を奪う、そんな歴史があることを改めて、考えさせられました。
 たしかに、ほかの自然界の動物は、自分の身を守るためか、食べて生きていくためにしか他の動物を殺したりしません。
 この紳士は自分の稼ぎのために、殺しに山に来ているのです。
 また、犬が目の前で死んでも何も感じず、自分がいくら損したという発想がでてくるのです。
 この紳士は物語の中では悪者ですが、きっと大きな意味で、「人類」を表していると感じました。
 でも、疑問に思ったのは、なぜ、この二人は助かったのか、ということです。
犬は途中で死んでしまったはずだし、化け猫が食べてしまう直前になって、犬が助けに来てくれるなんてそんな都合のいい話があるのかなと思い、「紳士」を「人類」に置き換えて、もう一度読んでみました。
 すると、私なりの解釈では、この「助かった」という風に結末を持ってきたことの意味は、きっと、人間がどんなに愚かなことをしても、自然界に自然と存在するものは必ず人間の生きる道を残してくれているということの表れだと思いました。
 たとえば、今排気ガスで空気が悪くなってきたとか、温暖化現象が起きているとかそういうことがあっても、地球にはまだ酸素があって、水があって、ちゃんと人間が生きていられている、ということを考えました。
 チェルノブイリ原発跡も、人が立ち入られない場所は今は木がうっそうと茂っているそうです。
 広島の原爆の後も、一説では「もう雑草一本も生えないだろう」と言われていたのに、いまではとてもきれいな公園になっています。
このことから、どんなに地球や、自然界の力が偉大であるか、ということを思い知らされた気がします。
 それを伝えたくて、最後の結末はあえて、「助かった」と持って行ったのかなと思いました。
 でも、「助かったけど、顔は戻らない」というところから、表面上助かったと思っても、愚かだった行為を決して忘れてはいけない、罪とは、一生ついて回るものだということを表しているような気がします。これは商品の見本なのでコピペは犯罪です。
 こんなに短い短編でも、こんなにメッセージ性の強い本を読んだのは初めてです。
 この作品で感じたことを、今後の人生にいかに活かしていくことができるか、考えていきたいと思いました。
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